ボーカロイド好きが考えるボカロと現在のJ-POPとの関係性

日記と雑記

もともと私は少し風変わりな曲が好きという音楽的嗜好の持ち主である。

風変わり・・・と言ってもその定義は人それぞれであるが、私はJ-POP的な単調な曲やメロディー、リズムを嫌う傾向にあった。

いわゆる、「普通」という感じの音楽が嫌いであった。

2000年以降のJ-POPについてだが、個人的にはとても音楽的に面白くない曲ばかりが持て囃された時期だと思っている。
※わざわざは言わないが、もちろん例外もあるし、あくまで個人的な意見です。

優しいだけの歌詞だったり、カリスマ性のないボーカルが4~5人も並んでラップしたり、単調なリズムの曲だったり、、、なんかもぅ~~自分の好みとはかけ離れていてJ-POPは死んだと思っていました。

J-POP IS DEAD!!

そんな中、ふと眺めていたニコニコ動画でボーカロイド「初音ミク」を耳にしたのが初音ミクを聴き始めたきっかけだった。

ニコニコ動画にUPされていた楽曲らは実験的でハチャメチャな音楽ばかりだった。

商業的でないからこそ、素人だからこそ、作れるそのハチャメチャな音楽に僕は度肝を抜かれました。

人間が歌えないようなメロディーやBPMで作られた楽曲・・・

つまり人間が歌う前提で作られていない聴いたことのない曲たちにめっちゃくちゃワクワクしたものです。

そして「こういう感性や才能を持った人間がたくさんいるんだ!!」とJ-POPの現在と将来を悲観してた私を安心させてくれました。

実際、2017年以降、今までとは違った面白い音楽が世間に出回り、またそれらが一定の評価を得ています。

あの時代にボカロを聴いて育った世代が・・・あの時代に培われた才能が今、開花しているのだと思います。

しかし、ボーカロイド自体の隆盛は長く続かなかったと感じます。
初音ミクというコンテンツは永久不変的なものになりつつありますが、楽曲については個人的には「歌い手」と「その取り巻き」に初音ミクの世界を壊されたと思っています。

僕は「初音ミク」を含む、楽曲製作陣の熱意やそのアイディアに大きく感銘を受けたわけで、それを使って実際の人間である「歌い手」が歌うことはなんとも「魂がない」という風に感じてしまうようになったわけです。

不思議ですね、魂を持つ人間の歌の方が「魂がない」と感じるなんて。

ボーカロイドの歌に関しては「声がかっこいい」とか「歌が上手」とかそういうことではないと思うんですよね。

また、楽曲自体もピロピロいうばかり、メロディーを詰め込んだようなラインの見えない曲が増えていき、これまた同じような曲がたくさんあるように感じてしまうようになってしまいました。

J-POPにボカロっぽい曲が増えすぎて、逆に新鮮味がない、個性がないという不思議な現象も起きています。まさかそんなことが起きるとは思っていませんでしたが、その話はまた今度・・・。その話はこちら↓

「歌い手」が評価され、また「よくわからない楽曲」が評価されるようになって、僕自身はボーカロイドの曲を聴くことを辞めました。

ディスっているように聞こえますが、本当にみなさん魂を込めて歌っていると思いますし、魂を込めて曲を作っているんだと思います。ただ私がそれを感じ取れないだけで。(もう古い感性の持ち主なんだと思います)

そしてこういう風に時代は流れていくということは理解しているのですが私自身はその流れについていけず、、、昔、あんなに聴いたボカロも今はまったく聴かなくなってしまいました。

先日、久々に初音ミクのライブ(project mirai)をテレビで見ましたが、やっぱりボカロ曲は初音ミクが歌ったほうがいいなぁと思いました。

そして、聴かなくなった今でもコンテンツとして大好きだなぁと改めて思った次第でした。

そして、初音ミクはやっぱり超可愛かった!!!(これが言いたかった)

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